お可免の歴史

創業3周年時のお可免の様子(昭和5年)

昭和2年、現在の地に創業。
初代の女将は、当時では珍しい女性の板前であった。創業以前は、弥生町あたりでおでん
屋を営んでおり、おでん屋では欠かせない(茶飯)からヒントを得て釜めしを思いついたという。
釜めし・天婦羅・刺身・柳川と今でも定番の人気料理などは、女将自ら市場へ仕入れに行き
調理していた。
第二次世界大戦の横浜大空襲の時は、全て焼きだされ残されたものは、真っ黒にこげた鍋と小銭の塊だけであった。

創業7周年記念の店内の様子(昭和9年)

しかしバイタリティあふれていた店主は、戦後1年足らずで木材もかなり不足していた状況の中、新潟より腕の良い大工を呼び寄せ、しっかりとした木造2階建ての店舗及住居を建て替えた。

昭和30年代のお可免の様子

その後は横浜の老舗<横浜のれん会>の設立発起人に名を連ね、戦後の混乱期をたくましく乗り切った以前の伊勢佐木町は、映画館や演芸場などが多く、芸能人が来店することもあった。
エピソードとしてはプロレスラーの故力道山が、当時では 珍しいオープンカーで来店し、大勢見物人が店前に来たという。
エピソードとしてはプロレスラーの故力道山が、当時では 珍しいオープンカーで来店し、大勢見物人が店前に来たという。
店内にある千社札は、約55年前に店を建てた時にいただいた品である。
当時、二階のお座敷には芸者さんを呼ぶことが多く、太鼓持ちの方に頂いた物、鮨屋連合の方から頂いた物、魚河岸から頂いた物である。今では珍しい品となっている。
老舗の味を受け継ぎ、伝えていくには努力が必要であり、困難な事も多い。
しかし、先代の想い、お客様の「おいしかった。」と言って頂いた時の顔を忘れずに、時代は変わっても味を変えずに続けて行きたい。 店 主